| カテゴリー:雑記 | 2009年06月06日 |
阿修羅展と仏像ブーム
先の阿修羅展話題の続きであるが、今朝の朝日新聞の朝刊にも、『仏像ブーム最高潮』のコピーで、後2日で閉館の阿修羅展が取上げられていたが、それにしても、2ヵ月強で90万人の来場者数で、入場料収入がざっと14億円という事になると、この不況下のなか、誠に不思議な現象ではある。
このブームの裏には、時間的余裕の出来た高齢者による人気と共に、やはりこの方面でも、20~30代の女性など若い世代への人気の拡がりが新しい現象であると朝日も報じている。何故、若い世代が抹香臭い世界に注目し出したのだろうか?
私事で恐縮だが、私もこの1~2年、それまでまったく興味がなかった時代小説に偶然出会い、そこに描かれている江戸の人情や生活文化に興味を持ち始めたが、仏像にまでは特別な興味はなかった。しかし、今年初め、文庫本発売となった五木寛之の「百寺巡礼」(奈良編)を読み始めたことから、機会があれば奈良や故郷の滋賀のお寺廻りに行ってみたいと思うようになり、今回の興福寺創建1300年記念の『阿修羅展』も、そんな中で、何となく観てみたいと思った訳である。
しかし、阿修羅像やその他の大小幾つかの仏像を観て周り、会場を後にしながら、ふと感じたのは、親鸞の悪人正機説の 『善人なおもて往生す、いわんや悪人をや』の一説である。親鸞の説くところの悪人とは、必ずしも、現代の法治国家で言う「犯罪人」だけの話でなく、犯罪とは無関係な一般人の「心の悪」も含まれていると考えられるが、この説法の背景には、奈良~平安~鎌倉と続いた、すばらしい仏像や仏像彫刻があったからでは?と言う気がした。
言い換えれば、『唯、念仏を唱えなさい!』と言う親鸞の教えは、仕事や生活で多くの緊張を強いられ、心を病んでいる現代人に対して、「心静かに、じっと仏像を眺めているだけで良いのじゃ!」と教えているような気がする。
より緊張を強いられる現代社会は、老若男女それぞれに「悩みや心配事」があると思うが、案外、文字や言葉で救われない場合も、お寺に行って無心に仏像を眺める事で心安らかになる方法もありそうだ。 昔の人もそんな風にして「嫌な渡世」を乗り切ってきたのではないだろうか?運慶に代表されるように、仏像彫刻が盛んな鎌倉時代に生きた親鸞も、そんなすばらしい仏像を眺めながら、念仏を唱え続けることで救われると言う「他力本願」に行き着いたのではないだろうか?
今回、阿修羅展でいくつかの仏像を眺めていて、ふとそんな気がした。
女性と中心に若者世代が古寺や仏像に興味を抱き始めたのも、やはり、何事も受け入れてくれそうな仏像の穏やかで優しげな眼差しに接していて、日常生活で疲れた心が癒されたからではないだろうか?
それにしても、今まで高齢者によって支えられてきた、時代小説や戦国武将、さらには「仏像」などの世界が、若い世代にも受け入れられ、日本の風土や文化の見直し機運が高まっているのは、現代世界の疲弊と共に、宇宙開発に象徴される科学技術の進歩がもたらす世界に永遠の未来はなく、むしろ、どんどん人間は生きづらくなることを感じ始めた証ではないかと言う気がする。
投稿者 kitamura : 2009年06月06日 15:10
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.sharing.ne.jp/blog/mt/mt-tb.cgi/980






