| カテゴリー:独り言 | 2008年11月10日 |
私のスピリチュアル世界
休日の独り言である
昨日の日曜日は、SO!Oomoriのオフィスの内覧申込みが入ったので、大森オフィスの案内に出かけてきたが、どういう訳か、何の連絡もないまま内覧希望者はいらっしゃらなかった。
休日にその為に出勤した事を考えれば、正直迷惑な話ではあるのだが、物は考えようと思えば、その方とは「縁」がなかったと言う事になる。又、お陰で、SO!Oomoriの入居者から、ゆっくりお仕事の話が聞けたのは良しと言うことである。昨日はそういう星の巡り合わせの一日だったのだろう。
ところで、「縁」と言う言葉は、子供の頃に、お寺のお坊さんの話の中によく出てきたが、元々は、仏教世界やスピリチュアルな世界の用語なのだろう。テレビ番組の「オーラの泉」なんかでも、スピリチュアルカウンセラーの江原さんからも、「ご縁」とか「学び」と言う言葉が何度も出てくる。
私は、スピリチュアルな世界に詳しいわけではないが、この「人生は学びである」と言う考え方はなかなか面白いと思う。例えば、人生まったくついていないと嘆く人が居る。病気はするは、仕事は上手く行かないは、彼女(彼氏)にも振られるは、と不幸ばかり続く人。一方で、生まれてから大した問題もなくずっと順調だと言う人もいる。
しかし、苦しいこと、悲しいこと、楽しい事、幸運なことなど、これらの世俗的なプラスマイナスも、江原さん流に、『すべて、あなたの為の「学び」なんですよ!』と思う事が出来れば、確かに、その方が精神衛生上は良い。今、大変なのは、自分にとって「必要な学び」の時期なんだと思って辛抱しながら前向きに生きられるし、逆に、調子が良いときも有頂天にならないよう、ブレーキが効くということである。
一流大学を出て大手企業に入社し、順調に昇進して行った人は、世間的には大変幸運な人となるが、そのままの順調さで寿命を全う出来るかどうかは解らない。安定したサラリーマン生活を長く続けていたことで、逆に、その後(退職後)の起業や、セカンドライフに於いて、小回りがきかないとか、プライドが邪魔して新たな仕事にチャレンジ出来ないと言う事もまま起こる。「苦しい学び」の時期が後にやってきたと言うことになるのか。
そうかと思えば、若いうちには仕事や家庭に恵まれず、苦労ばかりだった人が、老年期になって、順調な日々が廻ってくると言う場合もあるだろう。この場合は、年取ってから「愉しい学び」がやって来たと言う事になるのだろう。
勿論、スピリチュアル世界の話だから、その収支が現世だけではプラマイ「ゼロ」にはなりませんよ!と言う事もあるのだろうが、個々の寿命の中で、いつ、苦しい学びが来て、愉しい学びは来るのか来ないのか、我々凡人には予想がつかないので、取りあえず、何事も「必要な学び」だと思って前向きに対応して行くしかない訳である。
考えてみると、これはなかなか「世渡り上手な生き方」と言う事にならないだろうか?
親兄弟や家族も、友達も、出会う男女も、恩師や会社の同僚も、さらには、生まれた地域も、仕事も、苦楽も、すべて、我々一人一人の学びの為であり、生きると言う事は、その各自の土俵の中で、どんな相撲を取るかだと考えれば、『重き荷を背負いて坂道を登るがごとし』と言う人生も、少しは楽になる様な気がしてくる。
だとすれば、スピリチュアルな世界とは、「縁」とか「学び」に象徴されるように、ある意味では、世渡り上手な方便と言っても良いのかもしれない!
予定が狂った休日の一日、ふと、そんな事を考えてみた。
投稿者 kitamura : 2008年11月10日 18:40
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