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カテゴリー:独り言 2007年09月06日

適材適所ということ

先日、内閣改造が行われ、第二次安倍政権がスタートした。

我々にはよく判らないが、なんだかんだと言っても、政治家にとって『大臣の椅子』は相当魅力的らしい。大臣としての仕事のやり甲斐か、或いは、地元選挙民へのアピールなのか、選挙向けの知名度アップか、それとも、所謂権力欲なのか、各々の大臣によってその心の中はマチマチだろう。 実態は兎も角、大臣を選ぶ安倍首相から言えば、「適材適所」ということになるのであろう。

私の個人的な話だが、長いサラリーマン生活を通して人事部に配属された事はない。部署内に関わる「人事の仕事」程度の経験ではあるが、私なりに『人事の醍醐味』はやはり適材適所に人を配置する事だと考えている。

それが何故重要なのかと言えば、現役の人事担当者なら、恐らく、「適材を適所に配置しその部門の業績を向上させること」だと言うだろうと思う。企業活動の目的は、あくまでも各部署の業績アップだからである。

しかしながら、

私は「適材適所の重要性」とは、その人を活かすことだと考えている。

当然ながら、その人を活かすことが出来れば、当然、業績も上がるはずではあるが目的は「人を活かす」ことである。どこが違うのかと言えば、業績を上げる為の適材適所には、良かれと思ったその人がダメなら、別の人に代替すれば良いということになるが、人を活かすとは、その人の性格や能力が一番生きる場を与えることであり、業績はその結果に過ぎないのである。組織や社会が、さらにさらにと、有能は人材ばかり追いかけて行くと、俗に言う「負け組」の出番は益々減ってきて、益々「格差」が顕著な組織や社会になってきてしまうのである。

障害はハンデキャップではなく個性の違いである。

と言う意味のことを障害者自身が話されているのを聞いいたことがあるが、ビジネスにおいても、適材適所とは色んな個性を色んな場面で活かすように配置する事であって、結果を生み出せる人材をを集める事ではない。

これは、「SO!」も関わっている施設ビジネスの場にも適応する話だと思う。

『ロケーションは良く、築年数は若く、設備も良く、さらに外観も良い』などと言うオフィスビルや建物に「SO!」が、シェアオフィスやシェアサロンを作ったらどうだろうか?そんな条件のオフィスビルは、最近急速に高まってきた「貸し手市場」の環境の中では、とても高額なオフィスになるだけでなく、『SO!はSO!だから』と、気に入って頂いている方々には、『SO!の面白みがなくて詰まらない!』と言う事にならないだろうか。

だれがマネージメントしても、誰が企画しても評価される人材や建物(空間)は、コスト高になるだけでなく、適材適所と言うダイナミズムがまったく働いていない。

私は、一般常識的な評価では、注目されたり評価されない人や空間を、適所に配置(創造)する事で活かす(生き返らせる)ことが、「適材適所の醍醐味であり面白さ」であると思っている。例え、それが世間で評判の良い「人材や施設」に比して、結果的に低い評価を得たとしても、それはそれで構わないのである。

絶対評価の人や物など在り得ないし、それを追い求めるのは意味がない。それぞれの個性が発揮され、それを評価してくれる誰かがいれば満足である。

近頃、高校時代に覚えた「方丈記」の一節が、時に口について出てくるので、先日、初めて「方丈記」を買ってみた。

『行くく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある、人と住処と、またかくのごとし』

人生に究極の形とか最終到着点などなく、我々は、所詮、「過程の形」を追い求めて行くしかないということだと思う。

だから、私も、人も空間も本来の適材適所の精神で生かしてみたいし、自分自身も適所で活かされたいと願っている。 

 

 

 

 

 

 

投稿者 kitamura : 2007年09月06日 00:06

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