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カテゴリー:独り言 2007年07月13日

「縁」と言うこと

以前のブログでも何度か触れてきたが、最近、仕事を通して人や物との「縁」を感じる事が多くなった。

年齢を重ねて、「縁」ということを意識することが多くなったとか、或いは、施設ビジネスに関わる今の仕事柄、初めて「会う人」も多く、「縁」を意識することが多いのかもしれないが、以前は、長い間、人と関わる営業の仕事をしていたが、人や物との「縁」を意識したことはこんなにあまりなかった。

 

最近、人気のテレビ番組「オーラの泉」などの影響もあり、世間一般でもスピリチュアルな世界が身近なこととなっているようだが、このブームの前でも、年長者や女性から頂くメールなどでは、「・・・のご縁で」とか「これも何かのご縁でしょうから云々」と言う風に、「縁」と言う言葉に、それこそ、縁がなかった訳ではない。

施設ビジネスにおいて「縁」とは、「仕事を追いかける形」ではなく、「向こうからやってくるのを待つ形」の中で意識する事が多いのは確かである。 自分の方から動いて、仕事や顧客を追いかけている時には、「縁」がどうのこうのと考える事はなく、一方、「お客様を待つ」形の仕事になると、それこそ、「色々な施設の中からSO!を選んで頂いたのは、何かご縁があるのだとう!」と言う気に自然となるものである。

それはSO!を利用して頂くお客様だけでなく、SO!企画して創り出す過程における、色々な人や物(場所や建物などの地縁)との出会いでもそうである。

 

そこで、改めて「縁とは一体なんだろう?」と考えてみると、 『袖擦り合うも他生の縁』という言葉もある様に、縁とは前世や今生での「結びつき」とか「繋がり」と言う事だろうと思われる。

長く付き合った後に分かれた男女に、「それはお互い、縁がなかったんだよ!」等と言って慰める事が多いが、換言すれば、「お互いが結びつく必然性(縁)がない」と言うことである。縁がないと言われると、妙に納得してしまうから不思議である。

 

現在の地球上には65億人以上もの人間がいるとして、人は一生のうちで一体何人と「縁」があるものかはよく分からないが、日々の出会いから考えると、少なくとも、何百、何千の「縁」はある気がする。但し、多くの人は、家族や友人や仕事仲間を含めても、自分の縁を充分生かし切れないまま人生を終えているのではないだろうか。

多くの身の回りの「縁」を大切にして行くことで、「自分とは何者か?」とか、「自分の天職とは何か?」などが徐々に分かってくる気がする。『水、高きから低きに流れる!』と言う具合に、自分の周りに集まってきた「人や物との縁」が自然に、自分とはなんぞや?と言う事を教えてくれるのである。

そう言う意味で、、我々は日々出会う人や物や場所との繋がりを軽々にやり過ごす事なく、その中から自分の「縁」を感じ育てて行く事が、生きる楽しさにも自己発見にも通じるのだと私は思っている。

 

あなたも一度、「自分の縁」について考えてみると面白いと思う!

 

 

 

投稿者 kitamura : 2007年07月13日 13:27

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