| カテゴリー:雑記 | 2007年07月05日 |
共生その1『人と接すること』
大きくは世界的(地球的)環境問題から、身近なところでは、経済や地域の格差問題、長寿社会の老人問題、少子化問題等々、多くの問題を抱える現在、これらの根っこの部分に、物質文明への果てしなき憧れと、その手段としての、社会全体での過度の競争意識とお金万能主義に踊らされてきた現実がある。
そんな状況の中、今後、我々が選択できる価値観は何かと考えた時、重要なキーワードとして、「共生」があると思われる。
先日の東京都知事選にも立候補し、今回の参議院選挙にも再度、「共生新党」党首として立候補した、世界的建築家の「黒川紀章さん」は、50年前に既に、これからの社会に重要なテーマは「共生」であると喝破しておられたとの事である。
人と自然、都市と田舎、若者と老人、男と女などなど、共生にも色々な「共生の形」があるが、シェアをコンセプトとしたSO!の施設も、ある意味、「共生がテーマ」と言える。
そこで、今回は、『SO!』のテーマでもある「人と接すること」ついての私なりの日頃の雑感を記してみたい。
経済格差、職業格差、学業格差など表現は色々だが、結果として社会生活における「勝ち負け」が既成事実化している現在、現実の格差に関係なく、多くの人に等しく可能なのは「人と交わる事」である。そして、そこから得る、生のダイナミズムや感動は、誰にも公平に与えられているものである。
どんなに社会的地位があったり、どんなに経済的に恵まれていても、「ワクワクする人との触合い」がない人は寂しいし、逆に言えば、社会的地位や経済面で恵まれない人でも、「充実した人間関係」を持っている人は幸せである。
人は何の為に働き、何のために豊かな生活を得たいのか?人それぞれの立場での考えや使命もあるだろうが、市井の人として生きている我々にとっては、結局のところ、「各々の人生の中で、どんな人と出会い、その触れ合いを通じて、どんなすばらしい時間を持ち得たか?」と言う事じゃないかと私は思っている。すなわち、「人生の喜びは現世での人との出会い」にあると言ってもよい。
『他人との関係なんか面倒くさくて嫌だ!』と思う人も現実にはいるかとは思うが、人は、まさに、ピカソが描く「多面体の顔」のように多面的であり、複合的である。だから、人と接する場合に、相手の「どの面」に価値を見出し、又共鳴したり反発するかは「人それぞれ」と言える。固定化した評価でなく、貴方なりの「価値」を発見できる事で、人はそれぞれが「特別な、豊かな関係」を作り出せるのである。
さらに、又、脳が色んな刺激を受けながら成長するように、人も、仕事や日常生活を通して、日々多くの人と出会い、新たな刺激を交感し合う事で、「人の触れ合うすばらしさ」を味わう感覚が育つと言える。
そのような結果として、打算や便宜ではなく、『人と接するすばらしさ』を知っている人々が、地域や場所や考え方を共有しながら生きる生き方を「人と人の共生」と捉えたい。又、それはお金や物でけっして代用できない人生の愉しさである。
金銭欲や物欲に支配された「閉塞状況」からどうしても抜け出せない現在の我々にとって、再度、人生の生き生きとしたダイナミズムを身近に取り戻す為にも、我々が人間である以上、その最終的解決策は、やはり、人間の上に、豊かな人と人の共生の中に求めるしかないのではないだろうか!
投稿者 kitamura : 2007年07月05日 01:30
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